批判的の意味を取り違えてませんか?
2ヶ月くらい前かな…家にいたりする期間が増えて日付感覚がバグってるから詳しくは覚えてないけれど政府が国民1人につき10万円の給付を行ったのは記憶に新しい、自分の中ではすごい最近のことのように感じる、、
ひとりにつき10万円、日本の国民は1億人ほど、ただ配るだけでもとてつもない額の予算が必要になる。棚からぼたもちじゃないけれど国民からしたら何もせず10万円が得られることはすごくうれしいことなはず。
けれどどこにでも批判したがりな人はいて、そんなことに税金使うくらいなら消費税下げろだの自分は10万円いらないから他の困ってる人に配って欲しい、自分は拒否しますだのいろいろな意見()をテレビのインタビューやインターネットのニュースのコメント欄にあったんですよね、
自分はこれを見てすごいぜいたくなことを言うなぁと思った、大学生で自分で生計を立てる身でもないからこんなことが思えるのかも。
けれども少なくともお金を受け取るということは自分にとってマイナスにはならないはず。そこに批判する要素とかあるんですかね、、
生まれてから19年、短い間だけど物事を批判的に見ることの大切さを色んなとこで学んできてたどり着いたひとつの意見は、それはあくまで"見る"ことが大事なわけであってその結果を全て当事者にぶつけていいわけではない。ということなのかな、と。
批判的に見た結果得られた意見はひとつの貴重な要素なのは間違いない。でも、それはおそらくそのまま結論にはならないでしょう、だってマイナスの面からしか見えてないんだもの。
ネットニュースとかを見てるとこのマイナスの面からしか捉えられない人がものすごく多いなぁと感じます。ほんとに。
10万円を支給することによる良い面
・自分が10万円を何もせずとも得られる
・これを生活に回すことで生活が少しでも楽になる
・もともとお金を持つ人はさらに余裕ができそれを色んな消費に回すことで経済が活性化する
と、
10万円を支給することによる悪い面
・お金配るくらいなら消費税下げた方が効果的なのでは
・全員でなくほんとに困ってる人に配るべきでは
・10万円ではなんの足しにもならない、経済は回らない
(これらはよくコメント欄で見受けられた意見)
の両方を比べた時にぼくは配った時に得られる良い面の方が大きいのでは無いかなと思いました。
たかが政府のコロナ対策のひとつかもしれないけれど、それに対して盲目的に批判ばっかりするのではなく色んな面から考察されたコメントが増えると読む人の理解も深まりいい循環になるのではないでしょうか。
昨今、政治への関心が低いと話題になっていますが、その要因のひとつとして政治に対するマイナスイメージがあるのでは無いかなと思います。
テレビのニュースにおいても、いつも賛成意見は少なく常に批判ばかりにさらされている政治の場。いい政策には良いと。改善が必要なものには"何が"足りないのかを含めて意見できるようになるともっとみんなのイメージも変わり、自分の意見を反映させたいと思う人が増えるのではないでしょうか。
政治を学んでるわけではない1人の大学生の独り言ではあるけれど、共感や意見をしてくれる方が1人でもいてくださればうれしいです。
http://blog.hatena.ne.jp/-/odai/26006613550728253:title=お題「10万円」]